私たちの岡崎教区内にハンセン病療養所があるのを知っているだろうか。静岡県御殿場市にある国立駿河療養所である。第二次世界大戦末期の1944年に設立され、他の療養所から開拓として比較的元気な患者が集められた。やがて一般患者も入所して大人数となっていった。1948年には患者自治会が生まれ、時を同じく患者による宗教組織が次々と作られていった。浄土真宗を拠り所とする「真宗講」は、もっとも早く結成された。
結成されてから15年後、1959年、沼津市真しんらく楽寺住職の勧すすや山ま 弘ひろむ師が療養所を訪問してからは、定期的に法話集会が開かれ、仏事の導師も勧山師が務めるようになった。宗議会議員でもあった勧山師は教区内にも真宗講協力を呼びかけたが、協力は叶わなかった。勧山師は25年間一人で駿河療養所に訪問していたが、1984年には真宗講代表が亡くなり休会となる。以後、葬儀導師も入所者か職員の浄土宗僧侶が行っていた。
15年間の空白があったが、不条理な隔離政策に加担してきたことへの大谷派謝罪声明が出され、大谷派として交流が開始され、1999年11月24日に真宗講再興の報恩講が療養所内にある駿河礼拝堂で勤められた。それからは毎月真宗講定例会が開かれ、岡崎教区からもたくさんの参加があった。定例会では法話だけではなく、合唱団コールアーバーのコーラス、紙芝居も行われた。報恩講・彼岸法要・花まつり・研修会といった行事では、住居訪問やゲートボール、親睦会、カラオケなどで盛り上がった。だが、私が駿河療養所に初めて訪問し、真宗講が再興した25年前は200人近くおられた入所者も今は30人となった。新型コロナ流行時は定例会も開くことができなかった。
2024年11月29 日、真宗講の閉講式。療養所からは真宗講代表の杉浦さん、自治会長の小おじ か 鹿さん、久しぶりに会えた良らち 知さんと職員の方々。大谷派からは、教務所長をはじめ15人が集まった。自治会の方は「真宗講のあゆみ」を写真パネルで掲示してくれていた。最後の真宗講集会。正信偈を唱和し、錦教務所長の法話、私と裾野市の渡わたな べ 邉成なるみ ち 道 さん(第33組長教寺住職)が感話し、代表の杉浦さんを囲んで最後の座談会。たくさんお土産をもらい、私たちは駿河療養所をあとにした。真宗講は閉講したが、ハンセン病問題への取り組みは続いている。これから私たちはどんな関わりができるのか、今まで関わってきた入所者、真宗講の皆さんから問われているように思う。