岡崎教区では教区内4別院に「地域教化センター」という組織が置かれ、それぞれ教化事業を行っています。今回は静岡別院を拠点とする静岡地域教化センターの活動を紹介いたします。
「静岡地域教化センター」は、数年の準備期間を経て、2013年に静岡別院崇敬区域である県内5ヵ組(31~35組)に密着した共同教化・共同学習の企画及び実践、並びに人材育成を目的として正式に発足しました。センター長1名(静岡別院輪番)、主幹1名、各組から選出された委員10名(各組から2名)、事務局2名(別院職員)で構成されます。
これまでに行った主な教化事業としては、お内仏(仏壇)・葬儀式・墓に関する学びがあります。真宗の儀式作法に則した葬儀執行の在り方を葬儀社にも参画いただいて一緒に研修したり、真宗に相応しい墓石についてチラシを作成して石材店に配ったりするなど、他宗派の寺院が多い静岡地域でしっかりと真宗の教えを伝えられるような取り組みを行いました。
また、人材育成の一環として長年にわたり雅楽を学ぶ講習会を実施しました。地域内の若手寺族を中心に、名古屋まで定期的に通って雅楽を学びました。今では「自然楽会」という楽団を立ち上げ、別院報恩講をはじめ各寺院で法要の楽僧として出仕しています。静岡の地で雅楽が伝承されていくという素晴らしい成果となりました。
静岡独自の取り組みとして、「指定組教化」という事業も実施しました。静岡地域は県内全域を範囲とする広い地域のため、別院のみで事業を行うのではなく、各組で事業を展開しました。それぞれの個性を生かした事業を実施することができました。
今年度の事業は以下の通りです。
◆「 指定組教化 」
第31組が実施。6月15日(土)、14時から掛川生涯学習センターで桂小春団治氏を迎え、「真宗落語」を開催。200人強が参加。
◆「 仏華に学ぶ講習会 」(第3回)
テーマ:報恩講の本堂中尊前の立華~超基礎編~
講師は洲㟢善範氏(大阪教区第13組即念寺住職)。9月3日(火)、静岡別院にて実施。
◆「 若葉のつどい 」(第2回)
テーマ:すぐに役立つ声明儀式~葬儀編~
10月7日(月)~8日(火)、地域内の若手僧侶を対象に静岡別院にて実施。講師は鬼頭武志氏(本廟部堂衆)。
◆「 真宗の教化を学ぶ研修会
~教化の事例紹介もあります~ 」
2025年3月5日(水)~6日(木)、静岡別院にて実施予定。講師は寺澤三郎氏(北海道教区教化本部長、北海道教区第13組敎證寺住職)。
※詳細は7ページ「おいでんみりん」をご確認ください。
静岡別院の崇敬区域である静岡県はもともと真宗寺院の少ない地域です。有力な寺院はありましたが、別院はありませんでした。
静岡別院が創建されるきっかけには、江戸から明治への大きな時代の変化があります。江戸時代の終焉とともに、徳川家を相続した徳川は静岡県に移住しました。それに伴い、多くの旧幕臣も静岡に移住しました。そのような状況において、第21代が静岡別院創建を発願されました。移住してきた真宗門徒のよりどころとするため、激動の時代に静岡地域の寺院の結束の場を作るためなど、創建発願の理由を推察することはできますが、定かではありません。
そして、1871年3月に遷仏遷座法要が勤められ、静岡別院が創建されました。ご本尊は西敬寺(静岡市駿河区)に安置されていたものが遷され、本堂は静岡市上石町の明泉寺が土地と建物を献納し、そこを別院本堂としました。
別院創建には、氏の尽力がありました。宮原氏は旧幕臣であり、徳川家とともに静岡に移住、1868年には静岡藩が設置した静岡学問所の教授もつとめました。徳川家と東本願寺の関係を調べるために東本願寺を訪れるうちに真宗の教えに帰依し、別院創建に携わるようになりました。その功績を称え、別院境内には木石堂という塔(現在は規模を縮小)が建立され、1990年には百回忌法要も勤められています。
この時代に別院を創建することがいかに大変であったか、時代背景を知るとより理解が深まります。明治時代は神道国教化の政策が進められ、仏像・仏具・経巻等の破壊、廃寺・合併も行われるなど、仏教にとって大変厳しい時代でした。
静岡別院創建と同時期、火災により豊橋別院本堂等が焼失するという出来事がありました。豊橋別院にはこの時点で240年ほどの歴史がありましたが、廃寺の命が出されてしまいました。地元寺院や門徒の尽力で何とか存続となりましたが、この時期の寺院の苦難が伺えるエピソードです。そのような時代に静岡別院は創建されました。
静岡別院も2度の火災にあっています。1度目は1899年、市内中心部1000戸以上が被害を受けた大火災が起こり、別院も全焼してしまいました。本山両堂の再建、濃尾大地震、日清戦争といった出来事もあり、再建工事が始まったのは火災から13年後のことでした。2度目は太平洋戦争末期の静岡大空襲による火災です。この時も全焼となりました。
2度とも関係者の多大なご苦労・ご尽力により再建され、現在に至るまで静岡地域の教化の中心としての役割を担っています。
参考資料:
『別院探訪』、『創建120年並宮原木石翁百回忌記念 静岡別院創立誌』