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コラム

「善光寺如来絵伝(ぜんこうじにょらいえでん)」絵解き

2026年05月26日 小山 興円

信濃国善光寺(しなのこくぜんこうじ)は、三国伝来の阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)を本尊とすることから、平安時代から信仰を集めてきました。この三河でも鎌倉時代に、浄土真宗の広まりとともに善光寺信仰が普及します。その善光寺信仰の柱になるのが善光寺縁起=本尊の由来です。この縁起を絵画化したものが「善光寺如来絵伝」です。その内容はおおよそ以下の五つになります。

①天竺(てんじく)での誕生
お釈迦様が生きていた頃のインド・ビシャリ国に月蓋長者(がっかいちょうじゃ)という人物がおり、お釈迦様に導かれて阿弥陀三尊仏が生まれます。月蓋長者はその後何度も転生を繰り返し、最終的に百済(くだら) の聖明王(せいめいおう)として生まれ変わります。

②百済への渡来と日本への伝来
如来は自ら空を飛んで百済国に至り、やがて欽きんめいてんのう明天皇十三年(552年)に日本へ伝えられます。これが日本への仏教伝来とされます。天皇から如来を託された蘇我(そが)氏は寺を造って祀りますが、廃仏派の物部(もののべ)氏が寺に火を付け、仏像を焼いて破壊しようとするが傷一つ付けられなかったため、ついに難波(なんば)の堀江(ほりえ)に投げ捨ててしまいます。

③本田善光(ほんだよしみつ)との出会いと信濃(しなの)行き
信濃国国司(こくし)の従者として都に上った本田善光がその仏像を信濃の国へと連れ帰り、現在の地(長野市)に遷座されます。

④ 善佐(よしすけ)の堕地獄(だじこく)・蘇生譚(そせいたん)
善光の息子・善佐が急死して地獄に落ちると、如来が閻魔大王を訪ねて善佐を助けます。娑婆に帰る途中、鬼に追われていた皇極天皇(こうぎょくてんのう)と出会った善佐は、如来に自分ではなく天皇を救うよう懇願します。

⑤善光寺の創建
善佐に助けられた皇極天皇(こうぎょくてんのう)の勅願によって644年に伽藍(がらん)が造営され、寺院は本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられます。

「善光寺如来絵伝」は単なる寺院縁起を描いたものではありません。国や時代を超えて仏に出あい、救われていく人々の姿を通して、「ただ今あなたを救う」という阿弥陀如来のはたらき(南無阿弥陀仏)を伝えたいという願いが込められています。

善光寺如来絵伝

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